2014年12月アーカイブ

1年半ぶりぐらいの更新になってしまいましたが、この間、瞑想はまったくやっておりませんでした。燃え尽き症候群とでもいうのでしょうか、目標を達成したあと遊び呆けていたのですが、そろそろまた瞑想からはじめるつもりです。

それで、瞑想のさらなる効率化を目指して、今回は睡眠アプリというのを使ってみることにしました。iPhoneの無料・有料アプリで人気の高いものをいくつかダウンロードしてみたのですが、これを取り入れることで瞑想に入るまでの時間を短縮できそうな気がしております。

この睡眠アプリにもいろいろありますが、個人的にはバイノーラルビートという仕組みを使ったタイプのものを利用しております。これは小川の音とかそういう単純な音が延々と流れているだけなのですが、周波数の違う音を両耳から聞くことによって、睡眠や瞑想の時と同じ脳波の状態にもっていける仕組みのようです。(詳細不明)

たぶん、おそらくですが、電車でガタン・ゴトンの単調な音が延々に繰り返されたりすると眠くなったりするじゃないですか。おそらくはそういう類の効果を効率的に発揮するアプリなのだろうと思われます。

3種類ぐらいのアプリを試してみたのですが、確かに、多少はうとうとしやすくなった気がしますので、瞑想の時に継続して利用してみる予定です。人によってはまったく効かないとかもあるよいうですので、いろいろ試してみることをおすすめします。

「はじめに言葉ありき」というのは聖書に出てくる有名な一節ですが、この後に「言葉は神とともにありき。言葉は神であった。」という文字が続きます。

この意味を考えてみても、ちょっと意味がよくわからないはずです。宇宙のはじめにあったのはビックバンなんじゃないの?とか考えてしまいますし、人類が地球に出現するずっと前の太古の時代から言葉があったとは到底思えません。言葉は人類が最近になって発明した便利な道具であって、はじめに言葉があったわけではないはずです。

一方で、もし言葉がなければ、人類はまだ猿人類のように暮らしていたはずです。「あーあー、うーうー」いっているだけでは言葉や文字は出現しなかったでしょうし、文明や科学もまったく発展しなかったことでしょう。

もし言葉がなかったとしたら、人類が月へ行くこともなかったでしょうし、車もなければ電気もない、会社もなければ、都市も何もなかった原始的な生活のままだったはずです。逆にいえば、言葉には神がかりといってもよい程のとてつもないパワーが秘められていることになります。

「言葉は神であった。」ということは、すなわち神は言葉だったと同じ意味です。

そして、この神である言葉を自由自在に使っているのはわたしたち人間だけです。つまり、私たちは言葉を使うことによって常に神と共にあることになります。

なので、自分には到底達成が不可能にみえるような目標に感じても、その夢や希望が大きすぎるということはありません。神にとっては小指をひねるほどささいなことですし、私たちは言葉をとうして、その神の力と常に共にあるからです。

100万円が欲しければ、「100万円ありがとうございます。」とずーと言葉に出していってればよいのです。
彼女が欲しければ、「彼女がいて幸せだな。」とかずーっといってればよいのです。

ただ、全知全能の神にとって、100万とか彼女とかのしょぼい目標を掲げるのはかえって失礼かもしれません。100億円ぐらいの気持ち強めの大きな希望をいっとくのがよいでしょう。

ここでポイントになるのは、夢や希望は常に過去形で言葉にするということです。

「100万円が欲しい。」とかいってしまうと、「そうか、100万円が欲しい状況になりたいんだな。たやすいことだ。」ということで、100万円がどうしても必要になるような困った状況が次々に出現してしまいます。

僕はキリスト教徒ではなく仏教ですが、坊さんが念仏や題目などの言葉をずっと唱えているのは、言葉は神であるからだと考えています。いずれにしても、言葉には気をつけたいものですね。

恋愛における潜在意識の活用

人間は一旦惚れてしまうと、つい好きな人のことばかりを考えてしまい、なぜこんなに考えてしまうのだろうと何も手につかなくなってしまいます。恋愛は実際に相手と逢っている時間も大切ですが、それよりも普段の何気ない日常生活のなかの潜在意識で進行していることが多いのです。

そういった意味で、なかなか会えない時間のなかで、いかにして自分を意識してもらうかということが、恋愛においては大切な要素となります。むしろ、恋愛は逢っていないときにこそ進行するといっても過言ではないでしょう。

また、失恋した際にも、忘れようとすればするほど深みにはまり、せつなさや寂しさ、苦しさから辛い思いをすることになります。何とか忘れようとすることは、逆にいえば、潜在意識の上では忘れられない自分を認めていることになりますので、実際にそのような忘れられない状況から抜け出せなくなってしまうわけです。

自分にとってどうでもよい人であれば、あえて忘れようなどと考えることはまずありません。どうでもよい人であれば、意識をしなくても自然に忘れてしまうものです。

失恋をして忘れられなくなってしまった時、無理に忘れようと頭で前向きに考えるのではなく、潜在意識が抱えている失恋の悲しさや苦しみを感じ尽くすことがより重要になります。潜在意識が悲しんでいるのであれば、その悲しみや苦しみを感じ尽くすことが、失恋から立ち直るための癒しのプロセスにおいて重要な役割を果たすことになります。悲しみや苦しみを感じ尽くした状況になってはじめて、心は前向きになれるものです。

けれども、失恋から立ち直ったあとも、失恋のせつない曲や映画ばかりをみたりすることはできるだけ避けた方がよいでしょう。

失恋するというイメージが潜在意識に刻まれていきますので、現実にもそういった状況が出現してくることになってしまいます。失恋から立ち直ったあとは、ハッピーエンドの曲を聞いてみたり、あるいは明るい映画を見るなどして、意図的に明るいイメージを選択する必要があります。

また、失恋をした場合、本当は「失恋をしたかった自分」がいるパターンもあります。実際にうまくいって付き合うことになると「面倒くさい」とか、「一人でいる時間がなくなる」とか、「嫌われるのではないか」とか、そういった感情が潜在意識の奥底にあると別れという形で現実化してしまうものです。

別れがくると、「なぜ?なぜなの?」と人はあれこれ考えてしまうものですが、実は潜在意識の上では、本当は自分自身がその別れを望んでいたケースが多いものです。

特に、一方的に惚れてしまった場合、相手のことを無意識のうちに上に見ていることになりますので、自分とは釣り合わない人と考えてしまいがちです。この「自分とは釣り合わない」という感情があると、あれこれアプローチしてプレゼントをしてみたり、うっとおしがられることになり、それが別れという形で現実化してしまいます。

なので、まずは自分の潜在意識のなかで釣り合わないという気もちをなくし、しっかりとした自信を持つことが何より大切です。よくモテ期というのがありますが、もし自分がモテていた時期があれば、そのことを思い出してみるとよいでしょう。

もし、自分に自信があれば、一方的にベタ惚れしまうことはありません。その人が去って行っても、自分に合った相手は無数にいると考えることができますので、たまたま縁がなかっただけと考えることができます。

とはいえ、実際に惚れてしまった人から別れを告げられた場合、苦しくせつないものです。そういった場合、失恋で忘れられない人がいるのであれば、瞑想をしてみることをおすすめします。過大に膨張してしまった相手への気持ちがすっきりとして等身大で見ることができ、気がつけば、「なんであんなに好きだったんだろう?」と不思議に思うようになるかもしれません。せつない気持ちは残るものの、毎日をすがすがしく生活することができるでしょう。

失恋してしまった時、あえて意図的にハッピーな映画を見たり、明るい音楽を聞くのもよいですが、自分の潜在意識が苦しみ、悲しんでいる状況では、無理をして明るくふるまおうとしても心のどこかで歪みが生じてしまいます。潜在意識と頭は別物ですので、心のなかの悲しみをうまくごまかしてやり過ごそうとしても、いつまでたっても潜在意識が抱えている苦しみが癒えることはありません。

潜在意識では苦しんでいて癒しを求めている状況なのに、頭だけで意図的に明るくふるまおうとしていたら、悲しみを感じ取る力が次第に失われていくことになります。感情を押し殺すことにより、イライラしてしまったり、自己嫌悪に陥ってしまったり、あるいは無気力になってしまったりしてしまうわけです。

時が経てば心の痛みも次第に消えてはいきますが、失恋の痛みを正しく癒さないままでやり過ごしてしまった場合、その痛みが恐れとして潜在意識のなかに残されることになるため、次の恋愛に悪影響を与えてしまうことになるのです。

同じような失恋ばかり繰り返している場合、過去にきちんと癒されていない苦しみがあり、潜在意識に深く沈みこんでしまっている可能性があります。

そういった意味で、失恋をした際には無理をして頭だけで前向きに考えることをせず、潜在意識が求めるままに、悲嘆にくれて悲しむというプロセスを経ることが重要になります。悲しみや苦しみの感情を感じ尽くすことで心は癒され、きちんと癒されたあとは自然と前向きに生きられるようになります。

癒されるまでの時間はケースバイケースですが、自分のなかにある苦しみや悲しみを感じれば感じるほど、立ち直るまでの時間ははやくなると考えておけばよいでしょう。

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